第二次世界大戦の勝者は誰だったのか?(2)―大日本帝国の場合

国際法的にも道義的にも、日本はどこの国にも謝るようなことはしていません。
 それなのに、最も謝り続けている敗戦国です。
 なぜか?
 国際法的にも道義的にも悪くないならば、なぜそんな正しいことを世界中に説得できなかったのか?という責任問題が必ずついてきます。
 日本が国際法や道義に照らして悪くない以上、絶対に付随します。避けられません。
 誰が悪いのでしょうか?

 外務省です。彼らの宣伝能力の欠如は、普通の国だったら国家反逆罪級です。
 これをやりだすとそれだけで別のシリーズになるのでやめますが。
 帝政ロシアなら、歴代外相・主要国大使、ほぼ全員が間違いなく死刑です。

 外務省公式史観では、
「悪いのは、圧倒的に陸軍、ついで海軍(の特に嶋田繁太郎特定個人)、それとよくわからないけど内務省(特高警察)、ついでに平沼騏一郎一派(枢密院)や民間右翼」です。
 どうやら「軍部の独走」の前に外務省は蟷螂の斧の如く抵抗していた平和愛好者らしいです。
 軍部(=陸軍全体+嶋田繁太郎)が侵略を行なったらしいです。
 んなアホな。
 ここで賢明な読者の皆さんは疑問をお持ちでしょう。

 嶋田繁太郎って誰?
 巨大官庁である陸軍省や参謀本部に対置される人物・・・。何物なのか?
 まあ、海軍大臣や軍令総長を務めましたが、渾名は、東條の男めかけ!です。

 そんな人物に「陸軍省+参謀本部」に渡り合う政治力があって侵略戦争を遂行したとか、ありえないでしょう。他の海軍軍人は何をしていたのだ?となります。
 そもそも、小学生レベルの「対比」としておかしいでしょう。
 今で言うと、「日銀・財務省と前原せいじ」くらいおかしな日本語です。
 昔からこういう教科書的な説明、訳がわからなかったです。

 要するに、自分達が仕事をさぼって国を滅ぼした言い訳として、「日本には一部の悪い奴らがいて、侵略戦争を行なったんだ」という歴史観で洗脳してしまえば、国民から「何であの時、あんなに一方的に正しかったのに国際社会を説得できなかったのだ?」と追及されることはなくなります。自分達は安全です。
 宮内庁とか最高の天下り先もありますし。
 自らの責任を回避するためには、日本の国際社会での地位がどんなに低下しようが、国益を損なおうが知ったこっちゃないのが腐敗官僚です。そのためには昭和天皇さえ利用して、歴史歪曲とかもします。

 詳しくは

『別冊正論』14号の「“つくられた大御心”と側近達の大罪」

をお読みください。

 以上、かなり長い前置きでしたが本題に。
 大戦参加中、これほど自分の立ち位置をわかっていなかった国はないでしょう。

 まず支那事変(昭和12年~)の目的。
 暴支膺懲(=ならず者の支那人を叩きのめす)。←そもそも目的になっていない。

 次に、大東亜戦争(昭和16年~)の目的は三つありました。

その一 自存自衛=生きていくのに必要な土地を守る。
 アメリカが石油を売ってくれなくなったので、他で確保する必要があった。
 で、オランダ領インドネシアの石油を獲得するために戦いを始める。
 ちなみに、当時のオランダは同盟国ドイツの占領下であり、平和的な交渉で石油を獲得しようとしたが、現地オランダ人は人種差別意識に凝り固まっていたのと、米英両国の後ろ盾でこれでもかと居丈高な態度だった。どころか、「日本を締め上げてやる」くらいの態度でした。(これがいわゆるABCD包囲網)
 日本は蘭印(今のインドネシア辺りのオランダ植民地)など国とも思っていなかったが、ご丁寧に向こうから喧嘩を売ってくれた。
 で、緒戦は連戦連勝。

 それにしても以上の経過を見る限り、別にアメリカに喧嘩を売らんでも良いのでは。。。
 私ならオランダにだけ最後通牒を「48時間以内に降伏せよ」とか突きつけるけどなあ。

その二 有色人種の解放
 日本人は開戦半年後のミッドウェー海戦から坂を転げるように連戦連敗と思っているが、そんなことはない。あれは最初の有利を失って互角に戻っただけ。昭和18年までは一進一退。
で、英領(ミャンマー・マレーシア・シンガポールなど)、米領(フィリピン)、蘭領(インドネシア)などを次々と解放。
 それまでの帝国主義植民地体制(要するに白人による人種差別)を気がついたら打破していた。日本政府のお偉方さんたちはそんな民間右翼の夢想みたいな話はまじめに考えていなかったが、「まじめに占領政策をしなければ」という意識が芽生えてしまう。
 いつの間にか言い出したのが「有色人種の解放}!
 ところが、どこまでの範囲に解放戦争を行なうか、など真面目に考える能力のある人が一人もいない末期症状。
 あわてて
「これからハワイのことを研究しよう!」・・・ミッドウェー海戦が終わってます。
「やはりインドに突っ込もう!」・・・頼むから2年早くやってくれ!泣
「中東って、インドのこと?それともペルシャ湾に入るの?」・・・もうこれ以上何も言うまい。
みたいな超泥縄式にアタフタしているうちに劣勢に。
 他国を解放するどころか、
「一億火の玉!」「本土決戦!」「聖戦完遂!」「一億玉砕!」
と、掛け声が意味不明になっていく。勝つ気が失せていっている。
 この掛け声、どんどん後ろ向きになっている日本人の意識がわかるなあ。。。

その三 国体護持
 現実には本土決戦なぞ生ぬるい、本土消耗戦が迫っていた。。。

 ちなみに本土“消耗戦”がどれほど恐ろしいかというと、ユーゴスラビアは、日本の8月15日の状態からが本番だ!、とばかりに全人民防衛を開始!ドイツ軍と戦いながら、王党派とセルビア人とクロアチア人とムスリム人と共産主義者が入り乱れて殺し合い、あまりの残虐行為にSS隊員に泡吹いて失神する連中が続出するわ、ヒムラーは「おウチにかえりたい」と泣き出すわで、怯えたドイツ軍をほぼ独力で本当に追い出してしまった。その間の国民死傷率は人口の1割。
 アメリカ人はこんなのを再現されると怖いから原爆を落としたとも言える。。。

 ところが、幸か不幸か日本人は文明人でした。そんな「消耗戦」などはかけらも考えていません。
 敗戦直前に何を議論したかと言うと、和平派は「一条件だけこちらから降伏条件をつけよう」で、抗戦派は「駄目だ。もう三条件を要求しないと、軍隊の武装解除なんかしたら何をされるかわからない」です。
 では日本人の総意とも言うべき一条件とは何かと言うと、国体護持です。
 国体護持とは、国家体制を守ることで、つまり天皇を中心として続いてきた日本の歴史文化伝統を変更しないことです。アメリカの返事は「日本国民が民主的に決めてください」でした。

 さて以上、大東亜戦争(日本国正式名称)における三つの目的は達成できたのでしょうか。

その一 自存自衛
 アジア太平洋最強の大国からいきなり三等国に転落。
 どう考えても失敗。
 カルタゴだって三回にかけてだったが、一回でいきなり滅亡、だとちょっと世界史で思いつかない。

その二 有色人種の解放
 日本敗戦直後に、日本が戦ったアジア中で実現。インドネシアの今村均とかインドの藤原岩市とか、かの地では大英雄だし。というか、敗戦後も一緒に日本人が戦っている。
 最終的には、アジアどころか世界中で実現。
 私はこの意味で「大東亜聖戦」と呼ぶのは構わないとは思う。

 ちなみに、日本の民族派の皆さんが「大東亜戦争記念碑」的なものあちこちに建てているようですが、非常に甘い。「戦勝記念碑」を建てるのが国際標準。
 サダム・フセインなんて、あれだけ湾岸戦争で袋叩きにされてクウェートから叩き出されても、ブッシュが1年後に大統領選挙で負けると、「アラーの天罰だ!」とか言いながら「戦勝記念碑」を国中に建てたくらいで。

その三 国体護持
 皇室に手をかけさせなかったのは確かでしょうね。
 ただし「マッカーサーの時限爆弾」という考え方もあります。

 占領政策とその後の戦後体制の評価次第でしょう。

 結論。
 第二次世界大戦が終わっても、日本は負け続けている!

 別に
「今すぐ戦争を周辺諸国に仕掛けてやる!」とか、
「今は戦後ではない、既に戦前だ!」とか、
「先の大戦の復讐を必ずしてやる!」とか
を言いたいわけではなくて、せめてドイツ人くらいに賢くなろうよ、という話です。

 未来の歴史書には
「日本人は戦争に負けたのではない。負けたフリをしていただけだ」
と書きたいものです。

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