ご報告:三橋貴明こと中村貴司君との裁判に圧勝しました

一昨年来の懸案でございました、経済評論家三橋貴明こと中村貴司君との民事訴訟ですが、結論を申しますと、圧勝しました。

 本年3月17日に東京高等裁判所で判決がなされ、上告期限までに先方から最高裁への訴えがなされず判決が確定しましたので、ここに勝利宣言をしたいと思います。

 ついでに、本当に“ついでに”でございますが、なぜか中村貴司君から「彼らも倉山に名誉毀損で訴求したいと願っていると推認された」として関係者にされた、水島総君(チャンネル桜社長)、藤井聡君(京都大学関係者)、中野剛志君(経済産業省関係者)の諸君に対しては、完勝いたしました。

 これでは何がなんやら訳が分からないでしょうが、事実ですので仕方ありません。

 三橋君には圧勝です。こちらは完勝を期していましたが、不測の事態がありましたので、限りなき完勝に近い圧勝であったことを確認し、且つ水島らに対しては完勝したことで満足したいと思います。

 なお、ここで私が「ら」と一括りにしているのは当方が藤井君や中野君に含みがあると言うのではなく、裁判所の判決文での表現ですので従うだけで、他意はありません。

 また、水島君の肩書ですが、原告(中村貴司君)の附帯控訴状では「保守業界の重鎮」との表現が使われていましたが、事実関係に疑義があると判断し、客観的事実に基づく表記を採用しましたことをお断りしておきます。

  以下、経過を説明します。

 平成25年9月末

 当時の私はチャンネル桜のキャスター且つレギュラー出演者であり、消費税増税反対運動の先頭に立っていました。当時の水島君は、全面的に応援してくれました。

 ところが9月24日には、「財務省の木下康司さんの批判はするな」と態度を急変させました。水島氏が主宰した17日の官邸前のデモでは、当時の木下財務事務次官を批判した巨大なプラカードまで使っていたので、何が起きたのか知りませんが。

 以後は、チャンネル桜の番組で「あいつはデマゴギー(嘘つき)だ」との誹謗中傷行為を繰り返す、あるいは私が関係する講演会への中止圧力をかけるなどの妨害工作を繰り返すなど、陰に陽に嫌がらせを続けてきたので、「相手にするに値せず」として関係を断絶しました。

 ちなみに、この種の妨害工作はその後も続けているようです。一つ例を挙げると、3月に行われた私の講演会の主催者が、日ごろの付き合いからチャンネル桜に宣伝を依頼したところ、拒否されたそうです。集客にまったく影響が無かったので無視し捨て置きましたが、事実は事実として公にさせていただきます。

 なお本題に関する余談ですが、ウィキペディアにある記述「水島総・三橋貴明らとの消費税増税への反対運動の方針の違いを巡って番組を降板したことが、当事者らより発表されている」との記述は明らかな誤りです。少なくとも私は、この一件で三橋こと中村君が大きな役割をはたしていたとは思っておりません。そもそも、ウィキが出典で上げている私の発言のどこで三橋君に言及しているのか。私のチャンネル桜降板に関し、三橋君を水島君と対等の地位に引き上げる評価は極めて不当です。

 平成26年4月

 イーストプレス社より『増税と政局』を上梓しました。本書の内容を一審での私の陳述に基づいてまとめると、「二部構成で、一部は消費増税8%をめぐる財務省と政局に関する事実に基づく論評、第二部はなぜ財務省の省是が増税となったのかに関する事実に基づく論評」です。その中で、保守系言論人がどのような言動を行ったかの部分があり、そこに「水島ら」が登場した訳です。本裁判では、「原告三橋と水島ら」という区分になったのですが、本書を普通の日本語力で読んでいただければ、「水島ら」の中に三橋君も入っていることは一目瞭然で、三橋君を主に取り上げたという事実はありません。

 これは裁判と関係があることなので、あえて強調して書きますが、イーストプレスの担当(本裁判で被告となった畑君)の意見により、三橋君も含めた「水島ら」への批評部分は大幅に割愛かつ表現も穏当に留めました。穏当の基準ですが、今回の裁判での表現に従えば、「原告(三橋)が日ごろ使用しているよりも穏健な表現」です。

 出版直後、チャンネル桜の住所宛に水島君に関し言及した箇所に付箋を貼って、出版社より郵送しました。私としては「君に関して言及したことを逃げも隠れもせず知らせた」という意識で、それを水島君が「喧嘩を売られた!受けて立つ」と解釈しようが構わないと思っていました。むしろ、水島君を訴えたいのは私の方なくらいでしたので。

 言論人たるもの、相手の批判が如何に口汚くても、その言論が言論に値しなくても、その行為が言論である以上は己の力で対抗すべきであって、裁判所の権力などに頼るなどすべきではないと思っていました。私の場合ですと、水島君に「倉山はデマを流した」とのデマを流された訳ですが、そんなデマを信じてしまう一部の学力が低い御仁は仕方ないとして、圧倒的多数のマトモな人はどちらが真実を述べているか理解できるので、己の言論で説得すればよい訳です。事情をよく知らない裁判官に訴えてアジテーションを行い、少しでも自分の主張が認められれば「我々の主張が認められた」「勝った、勝った」などと針小棒大にさらなるデマ宣伝をするなど、言論人としての自殺だと思っていました。

 ところが、予想もつかないことに、訴えてきたのは水島君ではなく、なぜか三橋君でした。卑俗な言い方をすれば、「水島に喧嘩を売ったら、なんだかよくわからないけど三橋が出てきた」ということです。先方の事情はずっと謎だったのですが、控訴審の原告の附帯控訴状で自身が「水島らのお仲間なのでしょうが、如何なものでしょうか」と判断せざるを得ないようなことを自白してきたので、ようやく氷解したという訳です。

 以上の事情で、私に憎悪という感情があるなら、それは主に水島君に向けたものであって、三橋君に対しては徹頭徹尾、憐みしか感じないのです。「君、その立場でいいのかよ?」が正直な感情です。

 とにもかくにも、三橋君は、私・イーストプレス・担当畑を相手に、民事裁判を起こしてきました。

 原告(中村貴司君)の請求を要約すると以下。

1、連帯して1000万円支払え
2、朝日,読売,毎日,産経,日経新聞朝刊全国版に謝罪広告を掲載せよ
3、HPにも謝罪広告を掲載せよ
4、「増税と政局」を書店より回収せよ
5、「増税と政局」中の三橋が批判された4カ所の文章について,書籍の増版,放送,上映,映画化等による公表をするな
6、訴訟費用は被告(倉山)らに負担させろ

 この裁判は、他人の悪口で飯を食っている言論人が、自分が少しばかり批判されたので頭にきて、反論もせずに、いきなり裁判に訴えたと言うだけの話です。たとえるなら、「日ごろ弱い者いじめで暴力を振るっている常習犯が、自分が一発殴られたら先生に訴えた」ということでしょうか。

 もう一つ解説しておくと、名誉棄損というのは、事実かどうかは関係ありません。事実であっても名誉棄損は成立します。さらに蛇足ですが、判決で「事実に反する」と認定されたとしても、「裁判官の心証(つまり主観)によれば」ということなので、本当に事実に反するかどうかは関係ありません。民事の名誉棄損裁判では事実であろうが嘘であろうが、形式要件に当てはまれば原則として不法行為は成立します。ただし、いくつかの条件に当てはまれば例外的に違法性が阻却されます(「相当性の法理」)。とはいうものの、違法性を阻却する条件に当てはまるかどうかは、最終的には裁判官の心証にかかっているのですが。

 だから、自分の言ったこと、言われたことを裁判官に訴えて決めてもらおう、という姿勢そのものが言論人として恥ずかしいことなのです。ましてや裁判の結果で「自分の言っていることが事実として認められた」「あいつの言っていることが嘘だと認められた」などとお上の権威にすがる時点で、言論人としての自殺、恥ずかしいことなのです。

 かくして、裁判が始まるのですが、非常に不愉快なことだらけでした。

 誰に不愉快かというと、イーストプレスです。もしイーストプレス、特に永田和泉社長が協力的なら、もっと楽な裁判だったでしょう。イーストプレス、特に永田社長は最初から最後まで非協力的でした。

 それと一審の裁判長は、こちらに対して極めて批判的な心証をあからさまにしていました。要するに「僕は人の悪口は嫌いなんだ」という思考回路の方でした。ほぼ同様の表現、あとで法廷でも言われましたし。この裁判長殿が言っていることが本当ならば論理的帰結として、原告三橋の著書で批判された人々が訴えてこの裁判長に当たれば多額の賠償金その他を獲れるのでしょうが、それは言っても仕方がない話。

 裁判長の名前を知りたい方は、公開情報なので御自分で調べてください。会話が通じなくて困りました。

 仕方がないので和解勧告に応じようとしたのですが、コントのようなドタバタが繰り返されて、お流れ。「せめて裁判やりたいなら、頼むから全員まじめにやってくれ」が私の心境でした。

  平成27年7月

 法廷が開かれました。実態は「笑っちゃいけない裁判」としか言いようがない。
 尋問は、自分の側の弁護士、ついで相手側の弁護士からという順番で受ける。
 こちらの弁護士さんとの尋問では、我ながら完璧だった。
 裁判官三人の内、左陪席と右陪席は私がしゃべるたびにウンウン頷いていた。

 とはいうものの、裁判長一人がやたらと私に攻撃的だったので、裁判が終わった後こっちの陣営はお通夜のようだった(なお、“こっちの陣営”にイースト関係者は入っていない)。棄却は無いな、と。

 言っても悪くないと思うので言うけど、原告(中村貴司君)の弁護士はグダグダ。ことごとく論破させてもらった。あの裁判長でなければ即棄却、くらいには完全粉砕。当の裁判長も原告代理人をにらみつけていたし。私、よほど嫌われたものだ、としか思えなかった。

平成27年10月

一審判決。
 争点と結論は以下の通り。
 話の説明上、先の原告の請求と順番を変えています。

一、勝敗・・・原告請求の6
 訴訟費用 10対3で原告(三橋)の負担とする。

 訴訟費用の負担は民事裁判における勝敗を示す指標です(民事訴訟法61条)。
 まさか勝った側が多くを負担するわけではないし、それならばそれで判決文にその理由が書いてあるはずなのです(もちろん無い)。この一事を以て私が「圧勝」と表現しても大げさではない。

二、『増税と政局』の回収と謝罪広告
 『増税と政局』の回収は完全棄却。・・・原告請求の4
 五大紙への謝罪広告は完全棄却。・・・原告請求の2
 書籍の増版,放送,映画化等による公表禁止は完全棄却。・・・原告請求の5
 被告(倉山)は、ブログで一か月間、謝罪広告を出せ。・・・原告請求の3

 『増税と政局』の回収を求めてきたが、こんなものは認められず、完全棄却。
 「五大紙への謝罪」と「ブログでの謝罪」、どちらの金額が大きいかは、桁は0が3つくらい違う。その意味で前者を蹴散らしたのは大勝利だけど、原告三橋はブログでの謝罪を針小棒大に宣伝するだろうなあとは考えていた。私だったら、「吹っかけて、いくらかもらえたら勝ち」みたいな当たり屋的な感覚にはなれないけど、そういう常識的な感覚が無いから自分の言論で勝つことを放棄して裁判などに訴えているのだとの事実を認識すると、嘆息した。

 現実には、判決確定前に「完全勝訴」と宣伝したのは仰天したが。ツッコミどころ満載の三橋君の発言だが、「完全」の言葉の意味から誰かが教えてあげなければならないだろう。

三、三橋君が批判された4カ所の文章について
 原告の主張を認める。
 ただし、『真冬の向日葵』はフィクション。

 『増税と政局』の内、三橋君の名前が出てくる4か所が裁判で争点に。三橋君は「事実に反する。謝れ。金払え」と訴えてきて、こちらは「嫌だ」と返している構造。
 結論は裁判官(特に裁判長)の心証で決まる。詳細は避けるけど、「痛み分け」を演出しようとしたのだろうか。
 判決のこの部分には大いに不満だったが、三橋君も大いに傷を負った。特に、作家生命の危機に瀕するようなことを認定されてどうするのだろう。
 三橋君は、小説『真冬の向日葵』で、財務省の玉木財務官と読売新聞の越前谷記者が、さも中川財務大臣に“毒を持った”と読み取るしかないような記述をし、これを「ノンフィクション」「真実」と宣伝販売しました。そのことが争点となったので、「じゃあ、事実であるとの証拠はありますか」とのこちらの問いには「フィクションです」と返答。
 争点三つに関してこちらは、「事実に反する」かどうかに関して、「裁判官(裁判長)を説得できなかった」というにすぎない。判決で何を言われようが、言論人倉山満の価値を決めるのはファンの皆さんなので。
 ところが『真冬の向日葵』に書いてあることの真実性は、著者三橋自ら「フィクション」つまり「嘘です」と自白した。これまた言論人三橋貴明の価値はファンが決めるので、他人がとやかく言う必要はないけど、私だったら恥ずかしくて外を歩けない。三橋君も今後も言論界で生きていくつもりなのだろうけど、誰かちゃんとした大人が「言論人には曲げてはいけない筋がある」と教えてあげないと。

四、賠償金額・・・原告請求の1
 原告請求の1千万円の内、850万円分は棄却。
150万円を、倉山・イースト・畑(担当)の三者が連帯して払え。

 85%が蹴られたのだから、私が三橋君なら負けと解釈する。もっとも「1円でも取れたら勝ち」という当たり屋的な感覚なら別だけど、常識で考えると三橋君の負け。
 一方の私は棄却を望んでいたので、1円でも払うのは不服だが、相場よりははるかに下なので、「勝ちは勝ち」「少なくとも負けではない」と判断。

 相場については一般の人は良くわからないだろうから簡単に解説しとく。
 21世紀になって名誉棄損裁判での訴えが認められやすく且つ賠償金の金額も高額化した。これに関しては、元最高裁事務総局勤務裁判官の瀬木比呂志さんが『ニッポンの裁判』で述べておられるけど、とりあえずネットで拾えるもので代替。

 名誉毀損の慰謝料の金額、政治家・芸能人を優遇・一般人を冷遇
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-6742.html

 つまり、名誉棄損裁判の相場は、「一般人50万円」「芸能人300万円」ということ。
 三橋こと中村君の立場になれば、150万円という金額は、自分が有名人との自負があれば敗北感を感じざるを得ないけど、一般人だと認めれば「そんなものか」。
とはいうものの、「吹っかけていくら獲れるか」の当たり屋的発想なら別で、どうやら三橋君はその当たり屋的発想で考えているようなので、その立場で勝ちか負けかを考えてみる。
 一人頭50万円。これが重いか軽いか。軽いでしょう。150万円と言う金額も、一審の弁護士費用を払ったら、50万円くらいしか残らない額だし。弁護士費用は弁護士会で規定があるので、そちらで調べてください。もっとも、三橋君が破格の安さで弁護を引き受けてもらったとか、別の人に出してもらったなら別だが、そんな事情が有るや無しやなど、こちらが斟酌してあげる必要はない。判決がすべて。

まとめると、以下。

一、勝敗
 訴訟費用を10対3で原告三橋が負担。
 倉山大勝。
二、『増税と政局』の回収と謝罪広告
 回収と五大紙での謝罪は完全棄却。
 書籍の増版・映画化等による公表の禁止も完全棄却
 ブログでのみ謝罪。
 大きなところでは倉山完勝。細部で、「少しだけ原告の顔を立てよ」との判決。

三、三橋が批判された4カ所の文章について
 原告に肩入れしているように見えるが、『真冬の向日葵』を「フィクション」と認定。
 要するに、裁判所が三橋君を「嘘つき」と認定したともとれる内容。そこまで言っていないが、少なくとも私がこんな判決を出されたら自害する。
 形式的には痛み分け、実質的には大勝。

四、賠償金
 相場以下。
 どんなに控えめに言っても辛勝ではある。不愉快だが、客観的には大勝だろう。

総評
 私は棄却すなわち完全勝利を目指していたので不満がない訳ではないが、全体的には大勝。私の気分も含めると、「辛勝の上、大勝の下」くらい。訴訟費用分担だと「10対3の勝ち」「7割5分の勝ち」なのだけど、いくつか気に入らない部分もあったので「辛勝の上、大勝の下」と考えていた。結論から言うと、控訴しなくていいかな、と考えていた。

 ところが!

平成27年11月
 イーストプレスからは梨の礫でした。この裁判通じて、やる気と誠意が無いのは一貫していたので、ここまでは予想通り。そういう態度の人には、こっちもそういう態度でいるしかないで接していました。
 ところが控訴期日の午後4時頃に、事後通告で「控訴しました」とのこと。まさに寝耳に水です。
 こちらは上記の通り「この判決なら別にいいか」だったのですが、イースト(&畑)が控訴するというのに私だけがやらない訳にはいかない。私としては否応なくの控訴だったのです。
 これに関して三橋貴明君が途中経過報告として「完全勝訴」宣言を行ったのはあきれましたが、自分に都合の良いところだけ切り取って発表したことだけは、こちらも指摘しておきました。これは些細な事なので、省略。
 大事な事だけ言うと、一審判決後にイーストプレスとはマトモな打ち合わせは無し。イースト側がヒステリックなので、会話が成立しなかった。なんで控訴したかの理由も不得要領なくらいだったので。

平成28年2月
 イーストプレス側より通達。「三橋貴明氏と和解します」だそうで。この弁護士さんは一応、仁義は通してきた。とはいうものの、イーストプレス側が単独で 和解手続きをしていたのは動かぬ事実だけど。
 要するに、イーストは「勝手に控訴して、勝手に和解した」訳です。

 イーストと三橋君の和解条件は以下。

一、イーストプレスは一か月間、会社ホームページに謝罪広告を掲載。
「事実に反することを書きましたので謝罪します」云々の簡単な内容。何が事実に反したかなどは不明。
実際、3月1日から掲載されていました。注目していた人は誰もいなかっただろうから、私は何の実害も感じなかったけど。

二、賠償金はゼロ。
 つまり、「謝る代わりにお金は勘弁」ということです。

 ここで二つのことがわかります。
 一つは、イーストプレスの目的はお金を払いたくないということ。それなら控訴した理由もわかります。結局、150万円が大きかったのでしょう。
 もう一つは、三橋君の目的が「謝罪獲得」にあること。イーストとの和解内容を見ると、他のすべてを捨てて謝罪を勝ち取りに行っているのです。お金なんか1円もいらないし、どんなに形式的でもいいから謝罪が欲しい。その想いはひしひしと伝わってきます。
 ちなみに、一審での三橋君の陳述書を読むと、「何が何でも倉山に謝罪させたい」との涙ぐましいまでの想いが伝わってきます。そんなに私を謝らせたいなら、『増税と政局』が出版された時点で、公開討論を挑むとか正々堂々と戦いを挑んで来ればよかったのに。そして自分の言論で私を叩きのめせばよかったのです。それをやる力が無いから、こんな裁判になったのでしょうから、言っても仕方ありませんが。興味がある人は、公開されているので、三橋君の涙ぐましいまでの陳述書を読んであげてください。

 いずれにしてもイーストの単独和解で、流れは最悪。
当たり前ですが、一方の当事者のイーストプレスが「事実に反することを公表しました」と 謝罪しているので、「じゃあ、お前は何なんだ」と、こっちも言われるわけです。この時点で棄却はありえない。
 最近の傾向として、高裁は理由だけ変えて地裁の判決を容認することが多いので、こちらは、「謝罪そのままに、賠償金上乗せ」と予想していました。
 しかし、今さら特に何もすることなく、判決を迎える。

 以下、こちらの控訴状に対する、三橋君の附帯控訴状に即して確定した判決を解説します。論点は一審判決に加え、「五」を原告が追加してきたので、そういう説明になります。

平成28年3月
 控訴審判決(確定)。

一、勝敗
 訴訟費用を8対2で原告が負担せよ。
 一審では10対3でしたので、さらに広がりました。圧勝です。

二、謝罪広告
 全面棄却。
 謝罪広告の有無は、最大の争点でしたので、完勝です。

 原告は一審で棄却された「五大紙での謝罪広告」は控訴審で最初から取り下げていたので、この大きな部分では戦わずして完勝です。
 『増税と政局』の回収は、もはや争点にすらならず。同じく戦わずして完勝。
 しかも、連帯被告のイースト&畑が謝ったにもかかわらず、倉山は謝罪不要。一審判決の
「ブログで一か月間謝罪」を棄却しました。完勝です。
 イーストとの和解条件が動かぬ証拠ですが、「金は要らないから謝れ」が三橋君の裁判の目的です。それが全面的に棄却されました。
 一審で認められていた「ブログでの謝罪」すら棄却。
 いかなる詭弁を弄しようが、三橋君は目的を達せられず、私は完遂した。これがすべてです。

 三、三橋が批判された4カ所の文章について
 4か所中3か所は、一審通り。
 ただし、『真冬の向日葵』はフィクションであり、違法性は認めない。

 これに謝罪が伴わないので、大勝と言っても良いけど、気分が悪いので辛勝。
 少なくとも、こちらの負けではない。
 あちらの立場に立てば、致命的敗北。

 イーストプレスが勝手に謝ったので、一審通りかなと予想していましたが、結果は意外な判決でした。一審よりもこちら寄りに。
 まず3か所については、イーストが「事実に反する」と謝ったので、こっちが覆すのは不可能ですね。同じ 裁判官が同じ事象に関し、イースト対三橋の和解では「事実に反する」とし、一方で倉山対三橋の裁判で「事実に反しない」と判決を下すなど論理的におかしいので。
 違法性で言えば、「麻生のイヌ」「御用評論家」「卑怯者」などと批評したことが事実であるかどうかではなく、それらが形式要件に当てはまるかの話です。裁判で争うのは、「違法性阻却」か「違法に関する責任制の阻却」で、要するに「言われた側が可哀そうか否か」そして「金を払うほど可哀そうか否か」が争点です。
 今回は「言われた三橋君が可哀そうなので、倉山君請求額の何パーセントかは払って」という判決です。額は、一審での請求額の15%を払って、ということです。

 ではなぜ、もう1か所に関しては覆ったのでしょうか。一審で原告三橋君は『真冬の向日葵』はフィクションですと言い切りました。自分で「ノンフィクションです」と宣伝販売した本のことを言うに事欠いて、「フィクションです」と言い切ったのです。作者本人の自白がある以上、裁判官としては「じゃあ、倉山を違法とは言えないよね」と判断しても不思議でもなんでもない訳です。
 ここは重要なので、判決文の構成を詳しく説明しておきます。原告三橋は「ノンフィクションです」と発言していた事実が認められるが、「十分な証拠がないものであったと認められる」。従って、倉山の指摘は真実であるというべきである。そして、かかる倉山の発言は公共の利害に係るものであり、専ら公益目的に出たことも認められるから、違法性がない。ということでした。
 三橋君は、フィクション(=作り話)を「真実」「リアル」「ノンフィクション」と宣伝したと、法廷で認めた訳です。一審判決文の原告三橋に好意的だった部分の表現を借りると、「セールストーク」でこれをやったわけです。言論人三橋君の行方は、私の関知するところでないことだけは確かですな。これを指して私は、「三橋君の立場に立てば、致命的敗北」と評している訳です。

四、賠償金
 150万円払え(一審通り)。

 三の「イーストが勝手に謝って和解」という事情を考えると、むしろ賠償金が上乗せされてもおかしくないと覚悟していました。
 ところが、一審を維持。理由は「三」で述べたことから類推するしかないけど、それはどうでもいいけど捨象。
 ついでに言うと、原告三橋は二審では請求額を300万円に絞ってきたけど、やっぱり一審通り。一審での自分の正しさを主張するなら二審でも1000万円の請求をすべきだったはず。それとも勝てる自信が無かった?
 だったら、二審では150万円の請求にしておけば、せめて「賠償金ではこちらの請求が満額認められた」くらいのプロパガンダはできたのに。あくまでそれもプロパガンダで、原告の本来の要求の85%が蹴られたことには変わりないのだけど。
 この金額、一審二審を足した弁護士費用くらいか、足が出るくらいじゃないのかなあ。
 一時期はベストセラー作家だった三橋君にとってはハシタ金のはずで、弁護士費用程度の金額の為だけに、失うものは大きく何も得ることのない裁判だったということで。三橋君の最近の言動を知らないけど、まさかこれを多額のお金とは言わないでしょう。さすがにプライドがあるだろうから。

 ところで、なぜ一審で請求通りの1000万円でも、一審で認めてもらえた150万円でもなく、300万円という一審で認められた額に中途半端な上乗せだったのか?

五、水島総ら(他に藤井聡と中野剛志)の分も、この裁判で賠償金を上乗せしろ。
 当然、棄却。

  何を言っているのかわからないけれど、原告三橋が附帯控訴状でこんなことを言ってきたのが事実だから仕方がない。
 原告三橋の附帯控訴状に合わせ、その立証趣旨で述べられていることを書く。

証拠その一 「水島総履歴書」
→水島氏は保守業界の重鎮である。
 証拠その二 「水島が倉山に送った内容証明」
→去年の内から倉山には謝れと警告しておいた。
 証拠その三 「内容証明通知書」
→届いているはずなのに、倉山からは返事が無い。
 証拠その四 「『増税と政局』の該当箇所」
  →水島、藤井、中野への違法行為も甚大である。本来ならば、三人とも裁判に訴えたいけど、忙しいのでこの裁判で賠償金を150万円上乗せしてくれ。

  重要な事なので、原文から引用します。
「水島、藤井、中野においては、単に業務繁忙のため附帯控訴人(被控訴人)のように本件同様の名誉棄損の訴訟を提起しないだけであって、時間さえ許せば、附帯被控訴人(控訴人)らを名誉棄損で訴求したいものと願っているものと容易に推認できる。」
「このように、附帯被控訴人(控訴人)らによる名誉棄損行為が、著しく違法性が高いことに鑑み、本件附帯控訴請求を認容すべきであると考える。」
 つまり、「水島ら」からすると「本当は倉山を訴えたいけど忙しいので、ヒマ人の三橋の裁判で賠償金を上乗せしてくれ」ということです。これ、「一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断」する(最判S31.7.20)ならば、「ヒマ人」としか言いようがないと思えるのですが、いかがでしょう。少なくとも、私が三橋君なら「水島さん、あなた御自分で裁判を起こされれば如何ですか。私はあなたのパシリでも子分でもないので」と言いますけど。
 念のために確認ですが、この附帯控訴状を書いたのは、原告三橋の代理人弁護士です。
 これが三橋君を「憐れ」と書いた理由です。

 水島その他二名に関する部分は当然棄却。
 判決文でも「関係が無い」と一行で終了でした。

 かくして以上の事実に基づき、私は三橋君には圧勝、ついでに水島らに完勝と宣言させていただきます。

 今後、私が三橋君に言及することはないでしょう。「イヌ」「御用評論家」「卑怯者」などと指摘することはないでしょう。
 私が三橋君を表するとしたらただ一つの表現しかありません。「チャンネル桜に出ている評論家」です。
 まさか、「チャンネル桜に出ている評論家」と評することが名誉棄損に当たると訴えてくる気でしょうか。それはそれで面白いですが。
 私が「チャンネル桜に出ている評論家」のことをどういう意味で使っているかなど、ここで述べる必要はない。
 ただ、三橋君のことを今後は、「チャンネル桜に出ている評論家」と呼ばせていただくだけです。