ご報告:三橋貴明こと中村貴司君との裁判に圧勝しました

一昨年来の懸案でございました、経済評論家三橋貴明こと中村貴司君との民事訴訟ですが、結論を申しますと、圧勝しました。  本年3月17日に東京高等裁判所で判決がなされ、上告期限までに先方から最高裁への訴えがなされず判決が確定しましたので、ここに勝利宣言をしたいと思います。  ついでに、本当に“ついでに”でございますが、なぜか中村貴司君から「彼らも倉山に名誉毀損で訴求したいと願っていると推認された」として関係者にされた、水島総君(チャンネル桜社長)、藤井聡君(京都大学関係者)、中野剛志君(経済産業省関係者)の諸君に対しては、完勝いたしました。  これでは何がなんやら訳が分からないでしょうが、事実ですので仕方ありません。  三橋君には圧勝です。こちらは完勝を期していましたが、不測の事態がありましたので、限りなき完勝に近い圧勝であったことを確認し、且つ水島らに対しては完勝したことで満足したいと思います。  なお、ここで私が「ら」と一括りにしているのは当方が藤井君や中野君に含みがあると言うのではなく、裁判所の判決文での表現ですので従うだけで、他意はありません。  また、水島君の肩書ですが、原告(中村貴司君)の附帯控訴状では「保守業界の重鎮」との表現が使われていましたが、事実関係に疑義があると判断し、客観的事実に基づく表記を採用しましたことをお断りしておきます。   以下、経過を説明します。  平成25年9月末  当時の私はチャンネル桜のキャスター且つレギュラー出演者であり、消費税増税反対運動の先頭に立っていました。当時の水島君は、全面的に応援してくれました。  ところが9月24日には、「財務省の木下康司さんの批判はするな」と態度を急変させました。水島氏が主宰した17日の官邸前のデモでは、当時の木下財務事務次官を批判した巨大なプラカードまで使っていたので、何が起きたのか知りませんが。  以後は、チャンネル桜の番組で「あいつはデマゴギー(嘘つき)だ」との誹謗中傷行為を繰り返す、あるいは私が関係する講演会への中止圧力をかけるなどの妨害工作を繰り返すなど、陰に陽に嫌がらせを続けてきたので、「相手にするに値せず」として関係を断絶しました。  ちなみに、この種の妨害工作はその後も続けているようです。一つ例を挙げると、3月に行われた私の講演会の主催者が、日ごろの付き合いからチャンネル桜に宣伝を依頼したところ、拒否されたそうです。集客にまったく影響が無かったので無視し捨て置きましたが、事実は事実として公にさせていただきます。  なお本題に関する余談ですが、ウィキペディアにある記述「水島総・三橋貴明らとの消費税増税への反対運動の方針の違いを巡って番組を降板したことが、当事者らより発表されている」との記述は明らかな誤りです。少なくとも私は、この一件で三橋こと中村君が大きな役割をはたしていたとは思っておりません。そもそも、ウィキが出典で上げている私の発言のどこで三橋君に言及しているのか。私のチャンネル桜降板に関し、三橋君を水島君と対等の地位に引き上げる評価は極めて不当です。  平成26年4月  イーストプレス社より『増税と政局』を上梓しました。本書の内容を一審での私の陳述に基づいてまとめると、「二部構成で、一部は消費増税8%をめぐる財務省と政局に関する事実に基づく論評、第二部はなぜ財務省の省是が増税となったのかに関する事実に基づく論評」です。その中で、保守系言論人がどのような言動を行ったかの部分があり、そこに「水島ら」が登場した訳です。本裁判では、「原告三橋と水島ら」という区分になったのですが、本書を普通の日本語力で読んでいただければ、「水島ら」の中に三橋君も入っていることは一目瞭然で、三橋君を主に取り上げたという事実はありません。  これは裁判と関係があることなので、あえて強調して書きますが、イーストプレスの担当(本裁判で被告となった畑君)の意見により、三橋君も含めた「水島ら」への批評部分は大幅に割愛かつ表現も穏当に留めました。穏当の基準ですが、今回の裁判での表現に従えば、「原告(三橋)が日ごろ使用しているよりも穏健な表現」です。  出版直後、チャンネル桜の住所宛に水島君に関し言及した箇所に付箋を貼って、出版社より郵送しました。私としては「君に関して言及したことを逃げも隠れもせず知らせた」という意識で、それを水島君が「喧嘩を売られた!受けて立つ」と解釈しようが構わないと思っていました。むしろ、水島君を訴えたいのは私の方なくらいでしたので。  言論人たるもの、相手の批判が如何に口汚くても、その言論が言論に値しなくても、その行為が言論である以上は己の力で対抗すべきであって、裁判所の権力などに頼るなどすべきではないと思っていました。私の場合ですと、水島君に「倉山はデマを流した」とのデマを流された訳ですが、そんなデマを信じてしまう一部の学力が低い御仁は仕方ないとして、圧倒的多数のマトモな人はどちらが真実を述べているか理解できるので、己の言論で説得すればよい訳です。事情をよく知らない裁判官に訴えてアジテーションを行い、少しでも自分の主張が認められれば「我々の主張が認められた」「勝った、勝った」などと針小棒大にさらなるデマ宣伝をするなど、言論人としての自殺だと思っていました。  ところが、予想もつかないことに、訴えてきたのは水島君ではなく、なぜか三橋君でした。卑俗な言い方をすれば、「水島に喧嘩を売ったら、なんだかよくわからないけど三橋が出てきた」ということです。先方の事情はずっと謎だったのですが、控訴審の原告の附帯控訴状で自身が「水島らのお仲間なのでしょうが、如何なものでしょうか」と判断せざるを得ないようなことを自白してきたので、ようやく氷解したという訳です。…

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