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略歴

以下、古いプロフです。近日中に変更します。

昭和48年12月18日 香川県生まれ。
高校を卒業したら「絶対に瀬戸大橋を渡る」と決意していました。一番長く住んだのは団扇で有名な丸亀市です。
うどん嫌いで苦労しましたが、飢えに苦しむアフリカ難民を思うと、食べ物に関する好き嫌いがなくなりました。

平成 8年  中央大学文学部史学科国史学専攻卒業
大学時代は、弁論部・辞達学会に所属しました。といっても、政治家を目指すなどと言う大それた事は考えてはいませんでした。ただ、このとき以来の、大学や学年を超えた絆は今も続いています。何かをやろうとしても自分ひとりでは何も出来ない、誰かが助けてくれることがどれほどありがたいか。強い絆のありがたさを学びました。
四年間あまりにも勉強をしていないことに気付き、一生に一度は集中して勉強したいと思い、進学しました。まさか、それがいわゆる「負け組」への道だとはわからない相当な世間知らずでしたが。

平成10年  中央大学大学院文学研究科国史学専攻博士前期課程修了(文学修士)
もともと知りたかったことは、「憲政の常道」についてです。長かった自民党一党優位体制が崩壊し、連立内閣の時代に突入した頃ですし。
分野としては歴史学の政治外交史ということになり、軍事や法制などの関連分野も幅広く観るように気をつけてはいました。それが自分の専門のことさえ知っていればそれで良いとする他の研究者との違いになったようです。色々なところで嫌われました。
修士論文執筆中に就職内定の話が舞い込みました。一本も論文も書いておらず、何の業績もないのに、不思議な世界です。

平成11年  国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員。
博士課程在学中から、大学教員という不思議な地位にありました。十年間、年に一本以上は論文を書いています。
その中で、最大の出会いが吉野作造です。吉野は、大正デモクラシーの旗手で東大法学部のスーパーエリート、そして日本の左派の守護神、のように言われていますが、まったく違います。
吉野は相当な苦労人ですし、学者としてはむしろ京都学派で、愛国者です。私の研究対象であり、尊敬する人物であり、目指す生き様であり、越えるべき壁だと思っています。
吉野の生き様を一つ一つ学ぶことによって、学者としての生き方や学問のあり方を多く学ばせていただきました。

平成18年 中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程 単位取得満期退学
師匠が退任し、私も博士論文が間に合わないまま、「退院」しました。日本近代史の泰斗であり、歴史学界の良心とも言われる鳥海靖先生の下にいながら、申し訳ないことをしたと思います。その後二年間在学してなんとか学恩に報いようとしたのですが、それについてはいずれ語る時期が来るでしょう。私の最大の失敗は、作成途中の学位論文が、師匠にしかわからない水準に至っていたことです。
この頃から漠然と、単に学界の中だけに留まっていても世の中は変わらないのではないかと考えるようになりました。

現在    国士舘大学体育学部・21世紀アジア学部講師
大学では、資格試験講座としての「日本国憲法」や体育教師や救急救命士を目指す学生に「指導者論」や「生命倫理」を指導しています。
市民向け一般講座として、毎月第四土曜日午後六時から早稲田奉仕園六階において、

「帝国憲法講義」を開催。

学界以外にも、活動の幅を広げている。

お問い合わせは、 http://eupsychia.jp/modules/weblogD3/index.php?cat_id=1 まで。

帝国憲法講義の様子は以下。
http://www.youtube.com/watch?v=GVidVLn60U8
http://www.youtube.com/v/GVidVLn60U8&hl=en&fs=1&
http://www.youtube.com/v/GVidVLn60U8&hl=en&fs=1&

今年(平成21年)3月7日から9日まで、旧皇族として有名な竹田恒泰様のご招待で「神宮・叡山・御所で天皇弥栄を祈る旅」にご一緒させていただきました。
その帰りのバスの中でお話させていただいた内容が「帝国憲法講義」の原型です。

正しいことを知ったら、行動しなければならない。少なくとも、正しいことを伝えなければならない、と兼ねてより思っていました。
私には、もどかしく言葉にできない想いを抱えた人たちにかわり、大事なことを伝えることができる力があるのではないか。ただ言葉を伝える、それだけですけど、それが大きなことだと生まれて初めて自覚した瞬間でもありました。